三大大仏 明治時代

近世における日本の三大大仏

明治時代から昭和にかけての近代においての三大大仏は以下の通りです。

江戸時代の三大大仏から、奈良の東大寺の大仏と鎌倉の神奈川県鎌倉市、高徳院の大仏の2尊については変わりありませんでした。

変化があったのは、京の方広寺の大仏が焼失してしまった後に、第3の大仏に挙げられたのは、明治24年(1891年)に造営された兵庫の能福寺の大仏でした。
兵庫能福寺の大仏は、かつての京の大仏には及びませんが、鎌倉大仏と比べても遜色なく、長らく空いていた第3の大仏の席を埋めるには十分であり、近代は日本三大大仏になは良の大仏、鎌倉大仏、と並んで兵庫大仏があげられる時代となった。

しかし、この兵庫大仏は、太平洋戦争中の戦時軍事政権下において、昭和19年(1944年)に出された金属類回収令により、鋳潰されて破棄されてしまいました。

その後、兵庫大仏は平成3年(1991年)になってようやく再建されましたが、歴史の浅い新しい兵庫の大仏が、他の日本各地の大仏を差し置いて、日本三大大仏に挙げられるものかどうかは、多くの異論があるようです。

戦後、この兵庫の大仏がなくなって空位になった三大大仏の座を埋めるものはどこの大仏かは、意見の別れるところとなりました。

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